認知症の方とケアの専門家が生活を共にする介護施設「グループホーム」。
ここでは一日として同じ日はありません。グループホームで繰り広げられた「心 温まる物語」をご紹介します。
vol.2 ここがいい
「杖使ってまた歩きてぇんだ。」
ある日男性ご入居者様のNさんが私にこう言った。
ご入居された当時はまだ、ホーム内で杖を使って歩かれていたが、その後残念ながら左半身が不自由になり、現在がほぼ車椅子の生活となっている。
移動は、車椅子を右足で器用にこぎながらだ。
「それでも杖の方がいいなぁ〜。」と、寂しげな笑顔で言われる。
「だって杖使って歩けたら家で暮らせっぺ、なぁ?」
この日から、Nさんの希望に応えるべく取り組みが始まった。
普段からあまり体を動かされないNさん。
体重80キロの巨漢である。
ご自分でも「ちっと、運動しねぇとな。」と言われている。
そんなNさんに、運動としてフロア内の手すりの掃除をお勧めした。
「おっ!あれな!Iさんがやってたやつか?おれにもできっか?」
そうは言われるものの、やり始めると右足でこぎ進めながら、ゆっくりではあるが、思いを叶えるべく雑巾を持つ右手で手すりを拭いていく。
そんな姿に、「Nさん、ありがとうございます。」と感謝の言葉をお伝えしながら、深々と頭を下げる。
すると、「止めろ、止めろ、大した事やってねえんだ。自分のためだ。そんなに頭下げんな、安くねえんだから。」と、照れながら手を振られる。
そのNさんは神経痛があり、雨や寒い日などは頭の痛みや腰の痛みで、手すり拭きができなくなってしまう。
そんな時は、「無理しないで。」「今度調子のいいときに。」と伝えると、「明日はやるからな。せっかく言ってくれてんだ。」と申し訳なさそうに言われる。
また、煙草が好きなNさんは、食後に一本やるのが楽しみである。
喫煙をされる換気扇の下まで入口から歩いて行く。
「これをやれば、家さ行げんな!」と笑顔で言われる。
そうして、手すり拭きに加え、喫煙時の歩行訓練も行なうようになった。
「もうやめた。だってよ、少ししか歩けねえしよ。無理だ。家さ行げねえ。」
ある日突然Nさんが寂しそうな顔で言い出した。
「Nさん。私は、Nさんが決めたならそれでいいです。ただ『家で暮らせっぺ!』と言ったときのNさんの言葉も忘れられないんです。Nさんが頑張っている姿には、私も励まされたんです。まだまだ時間はかかるでしょうが、騙されたと思ってもう一度やってみませんか?」
そっぽを向いたNさんは、そのままの姿勢で、「騙されたと思ってやってみるっぺ。」と思いを込めた返事を返してくれた。
運動はいまだに続いている。
何も変化は無い。
いまだに車椅子生活を送られている。
そんな状況でもNさんは私にこんなひとことをくれた。
「俺、もう家に行かなくていいから。いやいやそうじゃなくて、やることが嫌になったんじゃなくて、ただここが良くなったんだ。心配してくれるあんたがいるここがいいんだ。これからも頼むわ。いいばい?」
「喜んで。」
それ以上言葉がなかった。